1997年 その年は無職となったオイラと、娘、そして孫達を心配して 度々九州の御両親が京都に来てくれました さりげなく 何事もないかのように 京都中の名所を案内したのがこの頃です |
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「京都でオススメのスポットあったら教えて!」 その後、人に尋ねられたら必ず答えてる「詩仙堂」です 初めて訪れたこの日 静かな庭に降り積もる雪の美しさを、本当は悲しい目で見つめていたのかもしれません |
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「耕祐に大好きだった会社を辞めさせたのは私 年老いた両親に心配ばかりかけてるのも私」 後に、残された日記から この頃のアイツの苦しみが想像以上だった事を知る訳ですが 「まさか・・・」 オイラは そう高をくくってたのでしょう |
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心の苦しみをよそに春は訪れ、夏は過ぎ この日は比叡山から琵琶湖へ抜け宇治川ラインをまわりました |
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愛する娘二人とつかの間の笑顔を見せる嫁さん | |
優希子 真璃子 覚えてるか? 楽しかったよな そして 母さんも楽しそうだったよな |
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でも・・・ まだこの時は分からんかった |
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この幸せの絵が | |
最後のものになるなんて | |
1997年 秋 この写真の丁度ひと月後に順子は別の世界で新しく“オイラの愛する妻”となり“娘達の大好きな母”となりました オイラは無宗教で神や仏、神父や坊主も信じませんが 「あの世ではな 苦しみも辛さも無くなり 恨みや妬みを感じることも無く 皆、笑って穏やかに暮らせるんだよ」 そう言ってくれた友人の言葉だけが今のよりどころです このアルバムだけでなく、ブログを含めたこのサイトを 私は「遺書」のつもりで作ってます 愛する娘達がココの存在を知っているのかどうか いつか孫が読んでくれるのかどうかも定かではありませんが おバカな写真も、恥ずかしいネタも、方々に散りばめた想いも、全てを残しあの世へ旅立った時は・・・ 真っ先に妻に駆け寄り 「すまなかった」と抱きしめるつもりで 今を生きてます |